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哀川翔、5歳で父の遺体を確認!明かされた生い立ち!

27日放送の「ファミリーヒストリー」(NHK総合)で、
哀川翔がわずか5歳で
父親の検視に立ち会っていたことが明かされた。

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この番組は、著名人の家族の歴史を
本人に代わって徹底取材し、
「アイデンティティ」や「家族の絆」を見つめる趣旨だ。
今回はゲストに哀川(本名・福地家宏)を迎え、
彼の先祖である佐賀鍋島藩の武将までルーツを遡った。

哀川の父親・福地家興(いえおき)は
海上自衛隊のパイロットだった。
そんな父親が事故に巻き込まれてしまう。
1967年、哨戒機の機長であった家興は合同訓練を終え、
徳島基地に帰隊途中で空中衝突に巻き込まれてしまう。
テレビの速報でも父親の名前が流れたらしく、
新聞には「乗組員全員が絶望」だと報じられていた。

このとき、母親の幸子は3人目の出産を控えており、
実家がある鹿児島に身を寄せていた。
出産間近だったため、
徳島に駆けつけることができず、
代わりに当時5歳の哀川がひとり
父親の元へ行くことになる。
出発前、哀川は
「パパは泳ぎが上手いから、きっと泳いで帰ってくるよ」
と母親に言ってのけたそうだ。

事故発生から6日目、遺体が収容されると、
哀川は身元確認のための隊員とともに検視に立ち会う。
検視を終えた哀川は、電話で
「ママ、間違いなくパパだった」
と、自らの言葉で父親の死を伝えたとのこと。
父親の死から11日後、母親は次男を無事出産し、
父親の名前を取って、正興と名付けたそうだ。

映像でこの当時を振り返った哀川は、
当時5歳目にしたテレビニュースを
今でも覚えているようで
「何が起きているか分からなかったが、
父親の顔写真が出た記憶はある」と振り返った。
父親はまだ37歳であり、
「短命だったとか、長生きしたということよりも、
生きてる間に、どういう思いをして生きてきたか
ということが大事」
だと神妙に語っていた。
                      (トピックニュース)
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哀川さん、子どものときから男前。
哀しすぎるけど、
カッコイイです。
いろいろと批判も多い番組ですけど、
家族や祖先の歴史を辿るのは、
大切なことではありますね。

テーマ : 芸能界のニュース
ジャンル : アイドル・芸能

tag : 哀川翔5歳のとき父親海上自衛隊のパイロット空中衝突ファミリーヒストリー検視佐賀鍋島藩身元確認短命

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