高橋真梨子、激やせは更年期&うつ!「金スマ」で波乱の半生!

2016年の紅白歌合戦で21番目に登場し、「ごめんね…を歌った高橋真梨子(67)。
昨年は彼女の芸能生活50周年であり、また紅組歌手の最年長出場記録をつくった。
そんな高橋が年初から話題になっている。
もともと伸びのある声と声量、そして飛びぬけた表現力と技術をもっていた彼女だが、
はっきりいって「紅白」では、声の衰えが目立った。
それだけでなく、肩を露わにしたドレスから露出した首すじや腕の細さにネットでは激やせの文字が躍った。
そして2017年1月6日放送の「中居正広の金スマスペシャル」(TBS系)に高橋自身が出演。
過去にも語っていた激やせの原因に加え、現在の体調、そして母親との確執と波乱の半生を語った。

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端的にまとめると、高橋の体重が少ないことは確かで、現在は33kgていどだという。
高橋の身長は155cm、厚労省などが推奨する適正体重は約53kgだから、約20kgも少ない値だ。
自分でも「ちょうど良いのは41kgぐらい」と語っていることから、
もともと痩せ型だったところ、さらに体重が落ちてしまっている現状がわかる。

この激やせのきっかけとなったのが中高年女性が避けて通れない更年期障害。
高橋に突然の不調が訪れたのは、結婚して3年たった47歳のとき。
コンサートの最中にめまい、手足のしびれに襲われ、歌が歌えなくなり、
そのまま公演は中止に。
後日、訪れた病院で下された診断が「重度の更年期障害」だった。

一般的に更年期障害とは、閉経にともなうホルモンバランスの崩れによる
自律神経失調症状・神経症状を指し、暑くもないのに大量の汗をかくホットフラッシュなどが有名だ。
ほかにも、ほてり、動悸、頭痛、冷感、めまい、耳鳴り、意欲低下、不安、うつ、肩こり、
関節痛、筋肉痛、腹痛、嘔吐、嘔気、易疲労、皮膚掻痒、食欲不振、不眠など
非常に多種多様な症状が現れるのが特徴で、簡単にクスリで治すことが難しい。
また人間関係などでストレスがあると自律神経のバランスが崩れやすく、
更年期症状が重症化しやすいともいわれている。

高橋の場合、どうやらこのケースのようだ。
うつ症状が強く出て、うまく考えをまとめることができずに仕事にも支障をきたすようになったという。
高橋はいまでも年間50公演はこなすほどの人気歌手。
仕事への自信喪失から、うつ症状が悪化し、結果として激やせしてしまったようだ。

夫のヘンリー広瀬の献身的な支えもあって、最悪の状態からは抜け出せたものの、
以降、高橋は何度も繰り返し、同じような不調に悩まされ続けることになる。

高橋自身の言葉によれば

「体調の良い日は年に2回くらいしかない」
「いつも足を氷水のなかにつけているような感じ」

だという。

そして、ここまで症状がひどくなったのは幼少期の心の傷、母親との葛藤があったからだとか。


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両親は高橋が小学校5年生のときに離婚。
キャバレー務めをしていた母親の浮気が原因でもともと上手くいっていなかったが、
そもそも母親が水商売に入ったのは父親の治療費を稼ぐためだったというから、
一方的に責めるのも気の毒だろう。

しかし、家に知らない男性を連れ込む母親の姿など、
思春期の女の子にとっては汚らわしい以外の何物でもない。
また帰宅も遅かったために高橋は友だちと寝るような毎日だった
当時の小学校の先生は
「悲しいほど寂しさを感じさせる性格です。家で何か心配事でもあるのでしょうか」
「親しい友だちもいないようで、いつも教室で一人、絵を描いていることが多い」
と話していたとか。先生の目に付くほど孤独な少女時代だったことが伺える。

そんな母親に反発し、また寂しさもあって高橋がのめり込んだのが音楽だった。
大好きだった父親、わずか37歳の若さでなくなってしまった父親がジャズ・シンガーだったこともあり、
寂しさを紛らわすように歌にのめりこんでいった高橋は、
やがて父のバンドマン仲間の伝手を頼り、歌のレッスンをつけてもらうようになる。

やがて人前で歌うようになった高橋は、地元・博多で「歌の上手い女の子がいる」と評判に。
そして東京の大手芸能プロダクションからスカウトがきて、
当時は歌手の登竜門だった「スクールメイツ」、
いわばジャニーズジュニアのようなバックコーラスとダンスを主体としたグループの一員として活動する。

だが「歌は歌ってもいいが芸能界には入るな」というのが父親の教えであり、
また高橋は踊りにも、集団生活にもまったく馴染めず、3年間で東京と芸能界に別れを告げた。
しかし、その後も何度も高橋の歌の上手さにひかれてスカウトが途切れることはなく、
熱心さに断りきれず、「1年だけ」の約束で加入したのが、
現在の夫のいたバンド、ペドロ&カプリシャスだった。1972年のことだ。

そして高橋の加入後すぐに彼らは、昭和の名作詞家・阿久悠の手になる名曲「ジョニィへの伝言」、
「五番街へのマリーへ」といったヒット曲に恵まれ、1974年にはNHK紅白歌合戦に初出場を果たす。

だが、高橋は当初の約束どおり、78年にはバンドを脱退。
ソロ活動を開始するのだが、すぐに「あなたの空を飛びたい」、「for you…」、「桃色吐息などなど
コンスタントにヒット曲をとばし続けた。

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高橋は1993年、44歳のとき、現在の夫ヘンリー広瀬と結婚。
同年にはニューヨークのカーネギー・ホールで初のコンサートを成功させるなど、
仕事も私生活も順調そのものだった。

ただし、その間、母親との接点は仕送りだけ。
母と和解できないまま、気がつけば39年の歳月が流れていた。
そして、1998年、母親にガンがみつかり、余命半年との宣告を受ける。
大人になtった高橋は、男性にすがることでしか生きられなかった当時の母親の気持ちも理解できるようになっていた。

「いま考えると母には母の人生もあるしね。好きになった人と一緒にいたい気持ちもわかる」
「だから、申し訳ないなと、いまでは思っています」

とはいえ、すでに入院していた母は、つきっきりで看病する高橋の姿に安心したのか、
手術が終わったあと東京の自宅で共に暮らしたものの、和解からたった4ヶ月で逝ってしまった。

茫然としたまま、母の遺品整理に自宅に帰った高橋が見つけたのは、
膨大な量のビデオテープや雑誌、新聞の切り抜き帳。
すべて高橋が出演した番組、高橋が取り上げられた記事だった。

そして、高橋が送り続けた仕送りのお金には、いっさい手がつけられていなかった。
離れていても、自分をいちばん応援してくれていたのは母だった。
そう悟った高橋だったが…

「もっと二人の時間があれば、検査にも連れていけた…。いまでは後悔しています」

高橋のコンサートは日本でもっともチケットの入手が困難といわれ、
体調が万全でない現状でも年間50公演はこなす。
高橋を苦しめているのは過去の母親との葛藤だとしても、
高橋の歌への情熱を支えているのもまた、母親への思いなのかもしれない。

テーマ : 芸能界のニュース
ジャンル : アイドル・芸能

tag : 高橋真梨子 激やせ 金スマ 更年期障害 うつ病 33kg 体重 ジョニィへの伝言 ペドロ&カプリシャス あなたの空を飛びたい

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