ピコ太郎を支えた先輩たち!立川談志、上田晋也も!

いまや世界の人気者となったピコ太郎(53)。
3日放送の「中居正広の金曜日のスマイルたちへ」(TBS系)で、
今は亡き落語家・立川談志さん(享年75)とのエピソードなど、
長かった雌伏のとき、苦労時代を語った。

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プロデューサーであるお笑い芸人・古坂大魔王(43)は、
1990年代にお笑いトリオ・底抜けAIRLINEとしてブレイク。
タモリが司会を務めたネタ番組「ボキャブラ天国」などの常連だった。
古坂Pはお笑いも音楽も大好きで、
デビュー当初から二つの分野を融合させたいと思っていたそうだ。
ルーツは「ドリフの剣道コントだった」という。
ピコ太郎の原型といえるのは1999年、
NHKで放送されていたネタ番組
「爆笑オンエアバトル」の第一回チャンピオン大会で披露した
テクノ調のリズムネタだった。

「お笑いの舞台上にシンセサイザーを持ち込んで、
爆音で流しながらコントをするんで、
人によって好き嫌いが分かれたんですね」

ところが、これがまったく受けず、
出場10組の中で9位という散々な結果に。
ところが特別審査員として参加していた立川談志が
「元気があって面白かったよ」と評価し「審査員特別賞」を与えた。
しかも収録後、古坂に
「パーッとやって、パーッと終わる感じがいい。
イリュージョンだった。
わけわかんないけど、見たことない。自由にやりゃいいんだよ。
誰もやってないってことは、それがお前の才能なんだ。
誰に何を言われてもやり続けろ。いいな」
と言葉をかけてくれたという。
この言葉が、長い低迷期の支えになったそうだ。

しかし周囲の理解は得られず、
先輩芸人からは
「『音楽やってるような、中途半端芸人は』
みたいなことをすげぇ言われたり」
辛いことも多かったそうだ。

それでも古坂は自身のこだわりを捨てず、
2003年9月からお笑い活動を休止し、
テクノユニット・ノーボトムの活動に専念。
音楽性を追求するため所属事務所を離れたり、
個人でもプロデュース活動を開始した。

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そんな試行錯誤の末に生まれたのがピコ太郎なのである。
もともとお笑い芸人の間では人気の高かった古坂だが、
不遇時代にはアルバイトで稼いだこともあったそうだ。
くりぃむしちゅー・上田晋也はそんな姿をみかねて、
2006年にCSで自身で企画した番組をスタートさせ、
古坂をレギュラーに抜擢した。

この日の「金スマ」ではピコ太郎の
フランス70日間密着ドキュメントも放送され、
世界中に愛されている様子が伝わってきました。
ブレイクして本当に良かったです。

テーマ : 芸能界のニュース
ジャンル : アイドル・芸能

tag : ピコ太郎 立川談志 上田晋也 テクノユニット・ノーボトム 審査員特別賞 爆笑オンエアバトル 原型 ルーツ ボキャブラ天国 古坂大魔王

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